『終わりなき神話』とクトゥルフ神話を比較考察|信仰・恐怖・神話が終わらない理由
小説『終わりなき神話』とH.P.ラヴクラフトによって体系化されたクトゥルフ神話は、一見すると全く異なるジャンルに属する作品群に見えます。しかし両者は、「人間はなぜ神話を作り、それに支配されるのか」という根源的な問いを共有しています。本記事では、『終わりなき神話』とクトゥルフ神話を比較しながら、それぞれの世界観・神の在り方・人間の位置づけをSEOを意識して考察します。
世界観の前提比較:意味がある世界と意味が崩壊する世界
『終わりなき神話』の世界は、意味が必要とされる世界です。人々は神話を信じることで秩序を得ており、物語が世界を維持しています。神話は社会構造そのものであり、意味を失うことは世界の崩壊を意味します。
一方、クトゥルフ神話の世界では、意味そのものが幻想です。宇宙は人間の理解や倫理とは無関係に存在し、神々(旧支配者)は救済も配慮も与えません。人間が神話を作る行為自体が、恐怖から目を背けるための錯覚として描かれます。
神の存在:信仰によって成立する神と、信仰を必要としない神
『終わりなき神話』に登場する神は、信仰によって意味づけられ、語られることで力を持ちます。神は固定された絶対存在ではなく、物語によって更新され続ける概念です。
対してクトゥルフ神話の神々は、人間の信仰を一切必要としません。彼らはただ存在し、その存在を知ること自体が人間の精神を破壊します。信仰は救いではなく、狂気への入り口です。
人間の立場:象徴となる人間と、取るに足らない人間
『終わりなき神話』では、人間は神話の担い手です。メシアや聖職者のような存在は象徴となり、世界に意味を与える役割を負わされます。人は消費されながらも、物語の中心に立たされます。
クトゥルフ神話における人間は、宇宙規模では無視できる存在です。英雄も救世主もおらず、知ることで壊れるだけの存在として描かれます。この徹底した人間否定が、クトゥルフ神話特有の恐怖を生み出しています。
恐怖の質の違い
『終わりなき神話』の恐怖は、
終わらせられない物語
信仰から逃れられない構造
正しさが人を縛ること
から生まれます。それは社会的・思想的な恐怖です。
一方、クトゥルフ神話の恐怖は、
理解不能な存在
宇宙的無意味さ
人間理性の崩壊
によって構成される、形而上的・宇宙的恐怖です。
神話が「終わらない」理由の違い
『終わりなき神話』で神話が終わらない理由は明確です。人々が意味を求め続ける限り、物語を終わらせることができないからです。神話は人間の選択によって延命されます。
クトゥルフ神話では、神話が終わる・終わらないという概念自体が成立しません。宇宙は人間の理解の外側にあり、神話は人間が勝手に貼り付けたラベルに過ぎないからです。
共通点:人間中心主義への否定
両作品に共通しているのは、人間中心主義への強い批判です。
『終わりなき神話』は、意味に縋る人間の弱さを描き
クトゥルフ神話は、意味など存在しない宇宙を突きつけます
方向性は逆でも、どちらも「人間は特別ではない」という結論に辿り着きます。
まとめ:意味に縛られる恐怖と、意味がない恐怖
『終わりなき神話』とクトゥルフ神話は、
意味があるがゆえに終われない世界
意味がないがゆえに耐えられない世界
という対照的な神話体系です。
どちらの神話も、人間が世界とどう向き合うかという問いを突きつけます。信仰に縛られる恐怖と、無意味に晒される恐怖。そのどちらがより残酷かは、読む者自身に委ねられています。

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