2026-01-25

終わりなき神話とクトゥルフ神話について

 


『終わりなき神話』とクトゥルフ神話を比較考察|信仰・恐怖・神話が終わらない理由

小説『終わりなき神話』とH.P.ラヴクラフトによって体系化されたクトゥルフ神話は、一見すると全く異なるジャンルに属する作品群に見えます。しかし両者は、「人間はなぜ神話を作り、それに支配されるのか」という根源的な問いを共有しています。本記事では、『終わりなき神話』とクトゥルフ神話を比較しながら、それぞれの世界観・神の在り方・人間の位置づけをSEOを意識して考察します。


世界観の前提比較:意味がある世界と意味が崩壊する世界

『終わりなき神話』の世界は、意味が必要とされる世界です。人々は神話を信じることで秩序を得ており、物語が世界を維持しています。神話は社会構造そのものであり、意味を失うことは世界の崩壊を意味します。

一方、クトゥルフ神話の世界では、意味そのものが幻想です。宇宙は人間の理解や倫理とは無関係に存在し、神々(旧支配者)は救済も配慮も与えません。人間が神話を作る行為自体が、恐怖から目を背けるための錯覚として描かれます。


神の存在:信仰によって成立する神と、信仰を必要としない神

『終わりなき神話』に登場する神は、信仰によって意味づけられ、語られることで力を持ちます。神は固定された絶対存在ではなく、物語によって更新され続ける概念です。

対してクトゥルフ神話の神々は、人間の信仰を一切必要としません。彼らはただ存在し、その存在を知ること自体が人間の精神を破壊します。信仰は救いではなく、狂気への入り口です。


人間の立場:象徴となる人間と、取るに足らない人間

『終わりなき神話』では、人間は神話の担い手です。メシアや聖職者のような存在は象徴となり、世界に意味を与える役割を負わされます。人は消費されながらも、物語の中心に立たされます。

クトゥルフ神話における人間は、宇宙規模では無視できる存在です。英雄も救世主もおらず、知ることで壊れるだけの存在として描かれます。この徹底した人間否定が、クトゥルフ神話特有の恐怖を生み出しています。


恐怖の質の違い

『終わりなき神話』の恐怖は、

  • 終わらせられない物語

  • 信仰から逃れられない構造

  • 正しさが人を縛ること

から生まれます。それは社会的・思想的な恐怖です。

一方、クトゥルフ神話の恐怖は、

  • 理解不能な存在

  • 宇宙的無意味さ

  • 人間理性の崩壊

によって構成される、形而上的・宇宙的恐怖です。


神話が「終わらない」理由の違い

『終わりなき神話』で神話が終わらない理由は明確です。人々が意味を求め続ける限り、物語を終わらせることができないからです。神話は人間の選択によって延命されます。

クトゥルフ神話では、神話が終わる・終わらないという概念自体が成立しません。宇宙は人間の理解の外側にあり、神話は人間が勝手に貼り付けたラベルに過ぎないからです。


共通点:人間中心主義への否定

両作品に共通しているのは、人間中心主義への強い批判です。

  • 『終わりなき神話』は、意味に縋る人間の弱さを描き

  • クトゥルフ神話は、意味など存在しない宇宙を突きつけます

方向性は逆でも、どちらも「人間は特別ではない」という結論に辿り着きます。


まとめ:意味に縛られる恐怖と、意味がない恐怖

『終わりなき神話』とクトゥルフ神話は、

  • 意味があるがゆえに終われない世界

  • 意味がないがゆえに耐えられない世界

という対照的な神話体系です。

どちらの神話も、人間が世界とどう向き合うかという問いを突きつけます。信仰に縛られる恐怖と、無意味に晒される恐怖。そのどちらがより残酷かは、読む者自身に委ねられています。


『終わりなき神話』本編はこちらから読めます

Amazonおすすめ書籍

No comments:

Post a Comment