『終わりなき神話』とDCユニバースを比較考察|神話が更新され続ける世界の構造
小説『終わりなき神話』と、アメリカンコミックスを代表する巨大世界観DCユニバースは、メディアもジャンルも異なります。しかし両者には明確な共通点があります。それは、神話的存在を中心に据えながら、物語が終わらない構造を持つ世界であるという点です。
本記事では、『終わりなき神話』とDCユニバースを比較し、「神話」「英雄」「世界の更新」という観点から、その構造と思想の違いを考察します。
世界観の比較:固定される神話と更新され続ける神話
『終わりなき神話』の世界は、神話と信仰が世界秩序そのものを形成する閉じた構造を持っています。神話は過去の物語ではなく、現在進行形で人々の生き方や価値観を規定する制度です。神話が崩れれば、世界の意味そのものが失われます。
一方DCユニバースでは、神話は常に更新・再解釈されるものです。スーパーマン、バットマン、ワンダーウーマンといった英雄たちは、神話的存在でありながら、時代ごとに設定や価値観を変えながら生き続けます。世界は閉じておらず、リブートやマルチバースによって拡張され続けます。
神話が終わらない理由の違い
『終わりなき神話』が終われない理由は、人間が神話を必要とし続けるからです。救済、意味、希望を失わないために、人々は神話を語り直し、更新し、終わりを拒否します。終焉は、信仰の崩壊と同義です。
DCユニバースが終わらない理由は、商業的・構造的な神話の循環にあります。キャラクターは死んでも復活し、世界は何度も再構築されます。神話は保存されるのではなく、消費と再生によって存続します。
主人公像の対比:象徴に縛られる者と象徴を演じ続ける者
『終わりなき神話』の主人公メシア・クライストは、象徴として消費される存在です。彼の意思や感情は、神話的役割によって上書きされていきます。選ばれたこと自体が、彼の自由を奪います。
対してDCユニバースのヒーローたちは、象徴であることを前提に行動する存在です。スーパーマンは希望の象徴であり続け、バットマンは恐怖の象徴として振る舞います。彼らは象徴から逃げず、役割を引き受け続けます。
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メシア:象徴に縛られる存在
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DCヒーロー:象徴を演じ続ける存在
この差は、物語の倫理観と人間観の違いを端的に示しています。
世界における人間の立場
『終わりなき神話』では、人間は神話構造の内部に生きています。自由意志は存在しますが、それは常に信仰と役割に制限されたものです。世界は意味によって支配されています。
DCユニバースでは、人間は世界を変えうる主体です。神や宇宙的存在が登場しても、最終的な判断や選択はヒーローや市民に委ねられます。ここには強いヒューマニズムがあります。
思想性の違い
『終わりなき神話』が問いかけるのは、
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なぜ人は神話を信じるのか
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神話は救いか、それとも呪いか
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物語は人をどこまで縛るのか
という内省的・思想的なテーマです。
DCユニバースが描くのは、
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力と責任
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正義の多様性
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希望を示し続けることの意味
といった、社会的で外向きなテーマです。
まとめ:終わらない神話の二つの形
『終わりなき神話』とDCユニバースは、どちらも神話を中心に据えた終わらない物語ですが、
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意味を失えないがゆえに終われない神話
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更新され続けることで終わらない神話
という正反対の構造を持っています。
一方は人間を神話の内側に閉じ込め、もう一方は神話を時代とともに進化させる。
この対比は、現代における「神話とは何か」「物語は何のために存在するのか」を考える上で、非常に示唆的です。

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