小説『終わりなき神話』と『聖書』を比較する
― 物語としての神と、啓示としての神 ―
小説『終わりなき神話』と聖書は、どちらも「神」「創造」「終末」といった壮大なテーマを扱います。
しかし両者はまったく異なる前提に立っています。
ひとつはフィクションとして神話構造を描く物語。
もうひとつは信仰の基盤となる啓示の書です。
本記事では、神の位置づけ、創造観、終末観、そして人間の役割を軸に比較します。
1. 神の存在:語られる神と啓示される神
『終わりなき神話』における神は、語られることで成立する存在です。
信仰や物語が神の力を固定し、世界の意味を支えます。神は構造の中に組み込まれています。
『聖書』における神は、自己啓示する絶対者です。
神は物語によって成立するのではなく、存在そのものが前提です。人間は神を創るのではなく、神に創られます。
- 終わりなき神話:神は物語に依存する
- 聖書:神は物語を超えて存在する
2. 創造の意味:構造としての創世と歴史としての創世
『終わりなき神話』の創造は、世界構造の始まりとして描かれます。
創世は象徴的であり、物語の循環の一部です。
『聖書』の創世は歴史的出来事として語られます。
天地創造は神の意志による行為であり、時間は直線的に進みます。
神話的循環と救済史的直線。
時間の捉え方が根本的に異なります。
3. 人間の役割:担い手か、被造物か
『終わりなき神話』では、人間は神話を語り、維持する存在です。
人間の語りが世界の安定に影響します。
『聖書』では、人間は被造物でありながら、神との契約を結ぶ存在です。
人間は世界を支えるのではなく、神の意志に応答する立場にあります。
前者は構造の担い手。
後者は神との関係を生きる存在。
4. 終末観:崩壊と再語り、裁きと救済
『終わりなき神話』の終末は、意味の崩壊です。
神話が失われれば世界は瓦解します。しかし語り直されれば再び持続します。
『聖書』には終末論があります。
最後の審判、救済、新しい天と地。終末は裁きであり、同時に再創造でもあります。
両者とも終わりを描きますが、
ひとつは構造的崩壊、
もうひとつは神の計画の完成です。
5. 無限の理解:永遠の物語と永遠の神
『終わりなき神話』の無限は、語られ続けることで持続する永遠です。
無限は物語の継続性です。
『聖書』の無限は、神の永遠性にあります。
神は始まりも終わりも持たない存在であり、人間はその永遠に参与するか否かを問われます。
無限の主体が異なります。
前者は物語、後者は神。
結論:神話は構造か、信仰か
『終わりなき神話』と『聖書』は、どちらも神と世界の関係を描きます。しかし立脚点は大きく異なります。
- 終わりなき神話:神は物語構造の中で機能する
- 聖書:神は歴史と存在の根源として啓示される
前者は神話を思考実験として扱い、
後者は神を信仰の対象として示します。
この比較は、神を「物語として読む」のか、それとも「信じる対象として受け止める」のかという根本的な違いを浮き彫りにします。
神は語られる存在なのか。
それとも、語る以前に存在する存在なのか。
その問いは、読者自身に委ねられています。






















