『終わりなき神話』とSuggsverseを比較考察|神話構造とインフレ宇宙が描く“無限”の正体
小説『終わりなき神話』と、Lionel Suggsによる超インフレ系創作世界 Suggsverse は、どちらも「無限」「絶対」「神」を扱う作品群です。しかし、その無限の扱い方と物語の成立条件は、根本的に異なります。本記事では、『終わりなき神話』とSuggsverseを比較し、神・宇宙・物語がどのように“終わらなくなるのか考察します。
世界観の比較:意味で閉じる神話と数で拡張する宇宙
『終わりなき神話』の世界は、神話と信仰によって意味づけられた閉じた構造を持っています。神は全能である以前に、「語られる存在」として成立します。世界は神話によって説明され、説明され続けることで存続します。
一方、Suggsverseは、数値と階層によって拡張され続ける超多元宇宙です。無限次元、無限宇宙、全能を超える全能が次々と定義され、世界は意味ではなくスケールによって成立しています。
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終わりなき神話:意味によって世界が保たれる
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Suggsverse:数と設定によって世界が拡張される
神の定義の違い
『終わりなき神話』における神は、絶対的存在でありながら、人間の信仰と物語に依存しています。神は信じられることで力を持ち、語られることで固定されます。神は世界の外にいるのではなく、世界構造の内側に組み込まれています。
Suggsverseに登場する神々は、序列化された超存在です。全能、無限、不可知といった概念は、さらに上位の存在によって更新され続けます。神は信仰を必要とせず、設定として常に上書きされます。
物語が終わらない理由
『終わりなき神話』が終われない理由は、神話が失われれば世界の意味が崩壊するからです。物語は終わりを迎えるのではなく、語り直されることで延命されます。終わりは破壊です。
Suggsverseが終わらない理由は、より強い存在、より大きな無限を追加できる構造にあります。物語は哲学的必然ではなく、設定拡張によって継続します。
主人公・登場人物の立場
『終わりなき神話』の主人公メシアは、象徴として消費される存在です。彼は選ばれたがゆえに自由を失い、意味を背負わされます。個の力よりも、役割が重視されます。
Suggsverseの登場人物たちは、力そのものが存在理由です。彼らは象徴ではなく、比較と優劣の中で定義されます。物語上の感情や内面よりも、能力のスケールが主軸となります。
無限の扱い方:質か量か
『終わりなき神話』が描く無限は、質的無限です。意味、信仰、神話が終わらないこと自体が無限性を生みます。
Suggsverseが描く無限は、量的無限です。宇宙の数、次元の数、階層の数が増え続けることで、無限が表現されます。
この違いは、作品の読後感に大きな差を生みます。
思想性の比較
『終わりなき神話』は、
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人はなぜ神を必要とするのか
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意味に縛られる人生は正しいのか
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神話は救いか檻か
といった内省的・哲学的問いを中心に据えています。
Suggsverseは、
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どこまで強くなれるか
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無限はどこまで積み上げられるか
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絶対を超える絶対は可能か
という設定実験的な問いを前面に出します。
まとめ:同じ“無限”でも正反対の物語
『終わりなき神話』とSuggsverseは、どちらも無限と神を描きながら、
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意味を失えないがゆえに終われない神話
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拡張を止めないことで終わらない設定宇宙
という正反対の方向性を持っています。
前者は人間と物語の関係を問い、後者は概念の限界を押し広げます。この比較は、「無限」という言葉が、作品ごとにまったく異なる意味を持つことを明確に示しています。















