小説『終わりなき神話』とホドロフスキー版『DUNE』構想を比較する
― 完成された神話と未完の神話 ―
小説『終わりなき神話』と、**Jodorowsky's Dune**は、どちらも宇宙規模の神話を目指した作品です。
しかし一方は物語として成立した神話であり、もう一方は実現されなかった“構想としての神話”です。
この対比はとても興味深いものです。
ここでは、神話の作り方、宇宙観、創造者の役割、そして未完であることの意味という視点から比較します。
1. 神話の形:完成された物語と構想そのもの
『終わりなき神話』は、ひとつの物語として完結した神話です。
読者はその世界を通して、宇宙の意味を追体験することができます。
一方ホドロフスキーの『DUNE』は、映画としては完成しませんでした。
しかしそのビジョンは、脚本、コンセプトアート、スタッフ構成などを通して語り継がれています。
つまり、
終わりなき神話:完成された神話
ホドロフスキーDUNE:構想として存在する神話
2. 宇宙観:物語の宇宙と意識の宇宙
『終わりなき神話』では、宇宙は神話と物語によって構造化されています。
ホドロフスキーの『DUNE』構想では、宇宙はより意識的・精神的なものとして描かれます。
彼のビジョンでは、人類の意識が変容し、宇宙そのものと融合するようなイメージが重要でした。
ここでは、「物語」と「意識」という違いが見えてきます。
3. 創造者の役割:語り手と預言者
『終わりなき神話』では、作者は神話の語り手です。
物語を通じて宇宙の構造を提示します。
一方で、**Alejandro Jodorowsky**は、自身を単なる監督ではなく、ある種の“預言者”のように位置づけていました。
彼の『DUNE』は映画というより、観る者の意識を変える体験を目指していました。
4. 影響:完成された作品と未完の影響
『終わりなき神話』は、物語として読者に直接影響を与えます。
ホドロフスキーの『DUNE』は未完成でありながら、後のSF作品に大きな影響を与えました。
関わったアーティストたちは、その後さまざまな作品に参加し、ビジュアルやアイデアが広がっていきます。
未完であるにもかかわらず、むしろ神話のように広がっていった点が特徴的です。
5. 未完であることの意味
ここが最も重要なポイントです。
『終わりなき神話』は完成されたことで、一つの宇宙を提示しています。
読者はその世界を理解し、解釈することができます。
一方ホドロフスキーの『DUNE』は未完です。
だからこそ、無限の可能性を持ち続けています。
完成されなかったことで、逆に「想像の中で広がり続ける神話」になったとも言えます。
結論:神話は完成すべきか
『終わりなき神話』とホドロフスキーの『DUNE』構想は、神話の二つの形を示しています。
終わりなき神話:完成された宇宙神話
ホドロフスキーDUNE:未完のまま広がる神話
前者は語られることで成立する神話。
後者は想像され続けることで存在する神話です。
そしてこの比較は、ひとつの問いに行き着きます。
神話は完成されるべきなのか、それとも未完のままの方が強いのか。

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