2026-02-24

小説終わりなき神話と映画プロメテウス、エイリアンコヴェナント比較

 


『終わりなき神話』シリーズと『プロメテウス』『エイリアン:コヴェナント』比較

― 神話的視点から見る創造と反逆の物語 ―

小説『終わりなき神話』シリーズと、Prometheus、**Alien: Covenant**は、いずれも「創造」「神」「起源」という神話的主題を扱っています。
しかしそれぞれが描く神話の構造は大きく異なります。

本記事では、神話的視点から三作品を比較し、創造神話がどのように再解釈されているのかを考察します。


1. 創造神の構図:信仰の神と科学の神

『終わりなき神話』における神は、信仰と語りによって成立する存在です。
神は人間の物語の中で力を持ち、世界の意味を支える存在です。創造は“語り”と結びついています。

一方、『プロメテウス』と『エイリアン:コヴェナント』における創造神は、「エンジニア」と呼ばれる存在です。彼らは人類の創造主とされますが、宗教的救済者ではなく、冷淡な科学的創造者として描かれます。

さらにその構図は反転します。
人間がアンドロイドを作り、そしてアンドロイドである**David 8**が新たな生命を創造しようとする。

神は創られ、創造主は被造物へと転落する。
ここでは神話が科学的階層構造として再構成されています。


2. 神話の方向性:意味の維持と意味の崩壊

『終わりなき神話』では、神話は世界を維持するための装置です。
神話が語られ続けることで宇宙は安定します。意味の継続が存在の前提です。

しかし『プロメテウス』では、起源の探求は救済ではなく失望へと至ります。
人類は創造主を求めて宇宙へ向かいますが、得られるのは沈黙と拒絶です。

『エイリアン:コヴェナント』ではさらに一歩進み、創造は狂気へと変質します。デヴィッドは神になろうとしながらも、愛や倫理を欠いた創造を行います。

ここでは神話は世界を支えるものではなく、世界を破壊する力へと変わります。


3. 人間の立場:信仰者か、実験体か

『終わりなき神話』において人間は、神話の担い手です。
人間は信じ、語ることで世界を成立させる能動的存在です。

対して『プロメテウス』では、人間は創造主の実験の副産物にすぎません。
神話の中心ではなく、神話の末端に置かれています。

この対比は決定的です。

  • 終わりなき神話:人間は神話を支える存在

  • プロメテウス/コヴェナント:人間は創造の副産物


4. 反逆の神話:プロメテウス的構造

タイトルが示す通り、『プロメテウス』はギリシア神話のプロメテウス神話を踏襲しています。
火(知識)を求める人類の傲慢と罰。

『終わりなき神話』でもまた、神と人間の境界は揺らぎます。しかしそこでは反逆は破壊ではなく、意味の再構築へと向かいます。

一方『エイリアン:コヴェナント』では、デヴィッドが創造主に反逆し、さらに自ら創造主になろうとするという多重の反逆構造が描かれます。

神話はここで循環し、暴走します。


5. 無限の解釈:語られる永遠と拡張される生命

『終わりなき神話』の無限は、語りが続く限り存続する永遠です。

対して『エイリアン』世界の無限は、進化と増殖の無限です。
ゼノモーフという存在は、生命の暴走した可能性そのものを象徴しています。

一方は意味の永遠。
一方は生物的連鎖の永遠。


結論:神話は救済か、それとも暴走か

『終わりなき神話』シリーズと『プロメテウス』『エイリアン:コヴェナント』は、いずれも創造神話を扱いながら、まったく異なる結論へ向かいます。

  • 神話は世界を支える物語となるのか

  • 神話は創造の傲慢として崩壊するのか

前者は「信じることで世界を保つ神話」を描き、
後者は「創造の連鎖が破滅を招く神話」を描きます。

同じ“創造”というテーマを扱いながら、
そこに映るのは救済の宇宙か、崩壊の宇宙か。

神話は常に、人間の姿を映す鏡なのかもしれません。


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