『終わりなき神話』と『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』を比較考察|神話的無限とマルチバース的無限の違い
小説『終わりなき神話』と、**Everything Everywhere All at Once**は、一見まったく異なるジャンルに見えます。
前者は神話構造を軸にした思索的物語、後者はマルチバースを駆け巡るカオスなSFアクション。
しかし両作に共通するのは、「無限」と「存在の意味」というテーマです。
本記事では、世界構造、主人公の立場、無限の扱い方、そして“救い”の描き方を比較します。
世界観の違い:閉じた神話構造 vs. 分岐し続けるマルチバース
『終わりなき神話』の世界は、神話と信仰によって固定された構造を持ちます。
世界は語られ、信じられることで成立し、意味が崩れれば存在そのものが揺らぎます。無限は「終わらない神話」として内側にあります。
一方、『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』では、無数の並行宇宙が同時に存在します。選択のたびに世界は分岐し、可能性は爆発的に増殖します。
終わりなき神話:意味の循環による無限
エブエブ:選択の分岐による無限
主人公の位置:象徴としての存在 vs. 平凡な個人
『終わりなき神話』の主人公メシアは、構造の中心に配置された象徴的存在です。彼は神話を支える役割を背負い、自由よりも「意味」を優先させられます。
対して、**Evelyn Wang**は、ごく普通の中年女性です。彼女は特別な存在ではありませんが、無数の可能性の中で「どの自分を選ぶか」という問いに直面します。
メシアは構造に縛られ、
エヴリンは可能性に引き裂かれる。
ここに決定的な違いがあります。
無限の扱い方:質的無限と量的無限
『終わりなき神話』が描く無限は、質的無限です。
神話が終わらない限り、世界は存続する。無限は意味の持続そのものです。
『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』が描く無限は、量的無限です。
宇宙の数、人生の数、可能性の数が際限なく広がる。
質と量。
同じ「無限」でも方向性は正反対です。
絶望と救い
『終わりなき神話』における絶望は、神話が失われること、すなわち意味の崩壊です。救いは神話を再び語り直すことにあります。
『エブエブ』における絶望は、無限の可能性の中で何もかもが無意味になることです。ジョブ・トゥパキが象徴する虚無は、「どの世界も等価である」という感覚から生まれます。
しかし最終的な救いは、巨大な構造でも超越的な神でもありません。
「今ここで誰かを愛ぶ」という、小さな選択です。
物語のスケールと読後感
『終わりなき神話』は、静かで構造的な重みを持ちます。読後には哲学的な余韻が残ります。
『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』は、混沌とユーモアと感情が爆発する物語です。観客は圧倒されながらも、最終的には個人的な優しさへと帰着します。
まとめ:無限の中で何を選ぶのか
『終わりなき神話』と『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』は、どちらも無限を描きますが、
神話が世界を支える物語
選択が世界を分岐させる物語
という対照的な構造を持っています。
前者は「意味が世界を作る」と語り、
後者は「選択が人生を作る」と語る。
無限の中で何を守るのか。
それこそが、両作品が私たちに突きつける共通の問いなのです。

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