2026-02-27

小説終わりなき神話と聖書比較

 


小説『終わりなき神話』と『聖書』を比較する

― 物語としての神と、啓示としての神 ―

小説『終わりなき神話』と聖書は、どちらも「神」「創造」「終末」といった壮大なテーマを扱います。

しかし両者はまったく異なる前提に立っています。
ひとつはフィクションとして神話構造を描く物語。
もうひとつは信仰の基盤となる啓示の書です。

本記事では、神の位置づけ、創造観、終末観、そして人間の役割を軸に比較します。


1. 神の存在:語られる神と啓示される神

『終わりなき神話』における神は、語られることで成立する存在です。
信仰や物語が神の力を固定し、世界の意味を支えます。神は構造の中に組み込まれています。

『聖書』における神は、自己啓示する絶対者です。
神は物語によって成立するのではなく、存在そのものが前提です。人間は神を創るのではなく、神に創られます。

  • 終わりなき神話:神は物語に依存する
  • 聖書:神は物語を超えて存在する

2. 創造の意味:構造としての創世と歴史としての創世

『終わりなき神話』の創造は、世界構造の始まりとして描かれます。
創世は象徴的であり、物語の循環の一部です。

『聖書』の創世は歴史的出来事として語られます。
天地創造は神の意志による行為であり、時間は直線的に進みます。

神話的循環と救済史的直線。
時間の捉え方が根本的に異なります。


3. 人間の役割:担い手か、被造物か

『終わりなき神話』では、人間は神話を語り、維持する存在です。
人間の語りが世界の安定に影響します。

『聖書』では、人間は被造物でありながら、神との契約を結ぶ存在です。
人間は世界を支えるのではなく、神の意志に応答する立場にあります。

前者は構造の担い手。
後者は神との関係を生きる存在。


4. 終末観:崩壊と再語り、裁きと救済

『終わりなき神話』の終末は、意味の崩壊です。
神話が失われれば世界は瓦解します。しかし語り直されれば再び持続します。

『聖書』には終末論があります。
最後の審判、救済、新しい天と地。終末は裁きであり、同時に再創造でもあります。

両者とも終わりを描きますが、
ひとつは構造的崩壊、
もうひとつは神の計画の完成です。


5. 無限の理解:永遠の物語と永遠の神

『終わりなき神話』の無限は、語られ続けることで持続する永遠です。
無限は物語の継続性です。

『聖書』の無限は、神の永遠性にあります。
神は始まりも終わりも持たない存在であり、人間はその永遠に参与するか否かを問われます。

無限の主体が異なります。
前者は物語、後者は神。


結論:神話は構造か、信仰か

『終わりなき神話』と『聖書』は、どちらも神と世界の関係を描きます。しかし立脚点は大きく異なります。

  • 終わりなき神話:神は物語構造の中で機能する
  • 聖書:神は歴史と存在の根源として啓示される

前者は神話を思考実験として扱い、
後者は神を信仰の対象として示します。

この比較は、神を「物語として読む」のか、それとも「信じる対象として受け止める」のかという根本的な違いを浮き彫りにします。

神は語られる存在なのか。
それとも、語る以前に存在する存在なのか。

その問いは、読者自身に委ねられています。

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