『終わりなき神話』と『BLAME!』を比較考察|神話構造と無限都市が描く“終わらない世界”
小説『終わりなき神話』と、**BLAME!**は、ともに“終わらない世界”を描く作品です。しかし、その無限のあり方は正反対です。
一方は神話と信仰によって世界が維持される物語。
もう一方は暴走したテクノロジーによって拡張し続ける巨大構造世界。
本記事では、世界観、主人公像、構造の意味、そして“沈黙”の扱いを中心に比較します。
世界観の違い:意味で閉じる世界 vs. 物理的に拡張し続ける世界
『終わりなき神話』では、世界は神話によって意味づけられています。語られ続けることで秩序は維持され、神話が失われれば世界の基盤は崩壊します。世界は構造的に閉じています。
一方『BLAME!』の舞台である“超構造体”は、無限に増殖し続ける人工都市です。秩序は崩壊し、人類はほぼ絶滅状態にあります。世界は意味ではなく、物理的スケールによって圧倒します。
終わりなき神話:意味が世界を支える
BLAME!:構造そのものが暴走する
主人公の立場:象徴としての存在と孤独な探索者
『終わりなき神話』の主人公メシアは、神話構造の中心に固定された象徴的存在です。彼は選ばれた役割を背負い、世界の意味を維持するために存在します。
対して、『BLAME!』の主人公**霧亥**は、ネット端末遺伝子を持つ人間を探し続ける孤独な探索者です。彼は象徴ではなく、広大すぎる世界の中の一個人です。
メシアは世界の中心に立ち、
霧亥は中心なき世界を彷徨う。
神話とテクノロジー
『終わりなき神話』では、神は信仰によって成立する存在であり、世界構造の保証者です。神話は秩序を与えます。
『BLAME!』には神はいません。代わりにあるのは制御不能となったAIと自律拡張する建築構造です。ここでの“絶対”は宗教的存在ではなく、無機質なシステムです。
神話的秩序と機械的暴走。
両作品は対照的な“超越”を描きます。
言葉と沈黙
『終わりなき神話』は、語られること自体が世界を支えます。物語が続く限り、世界は存続します。
『BLAME!』は極端に台詞が少なく、沈黙が支配する作品です。世界は語られず、説明されず、ただ存在しています。意味は読者に委ねられます。
終わりなき神話:語りが世界を作る
BLAME!:沈黙が世界を覆う
無限の質:内面的無限と空間的無限
『終わりなき神話』が描く無限は、意味と信仰の持続による内面的無限です。終わらないのは、語りが続くからです。
『BLAME!』が描く無限は、物理空間の拡張による空間的無限です。都市は際限なく伸び、スケールが人間を圧倒します。
前者は哲学的無限、
後者は建築的無限。
まとめ:終わらない物語と終わらない構造
『終わりなき神話』と『BLAME!』は、どちらも“終わらない世界”を描きます。
しかし、
意味が失われれば崩壊する世界
意味がなくとも拡張し続ける世界
という決定的な違いがあります。
前者は人間と神話の関係を問い、
後者は人間とテクノロジーの断絶を描く。
比較することで、無限とは“語られること”なのか、それとも“存在し続けること”なのかという根源的な問いが浮かび上がります。

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