2026-06-27

小説『終わりなき神話』と映画『ザ・フラッシュ』を比較

 

小説『終わりなき神話』と映画『ザ・フラッシュ』を比較する

 ― 肥大化するマルチバースの運命、現実の荒波による停滞、そして「絶対的設計図(プロット)」がもたらす救済 ―

DCエクステンデッド・ユニバース(DCEU)の事実上の最終章として、2023年に鳴り物入りで公開された映画『ザ・フラッシュ』。主人公バリー・アレンが過去を変えたことで世界のタイムラインが崩壊し、マイケル・キートン版バットマンやスーパーガールを巻き込んだ、壮大なマルチバース(多元宇宙)の衝突が描かれた。しかし、本作は主演俳優の相次ぐ不祥事による度重なる公開延期、さらには「ユニバース自体のリセット(新生DCUへの移行)」という大人の事情が重なり、作品としての輝きを持ちながらも、時代の潮流の底へと文字通り“埋もれてしまった”悲劇の超大作である。

そして、日本のWeb文芸シーンにおいて多元宇宙からオムニバース、不確定無限領域へと冷徹に進撃を続けるSF神話叙事詩『終わりなき神話』もまた、この『ザ・フラッシュ』が直面した「肥大化していく世界の制御」と「外的要因(現実)に脅かされる創作のダイナミズム」という重厚なテーマにおいて、深く、かつ極めて示唆的に響き合っている。

本稿では、無限に広がるマルチバースの光と影、そして混沌を支配する「プロットの絶対的統治力」について考察していく。

1. ユニバースの終焉と拡張:世界線の激突がもたらす目眩

『ザ・フラッシュ』が描いたのは、ひとつの選択(母親の救済)が宇宙の因果を狂わせ、異なる世界線が激突・崩壊していくマルチバースの崩壊劇(トマト缶の理論)であった。劇中、スパゲティのように絡み合うタイムラインが衝突し、無数の並行世界が巨大な球体となって衝突し合うビジュアルは、まさに映画ならではの圧倒的なスケール感であり、マルチバースという概念の極限を提示していた。しかし、その結末は「ユニバースそのものの終了」という、哀愁を帯びたリセットであった。

この「世界線の段階的な限界突破と、多層的な世界の激突」という構造は、『終わりなき神話』の舞台構築の凄みと見事にシンクロする。 『終わりなき神話』が描く世界もまた、単一の宇宙に留まらない。預言者オルトが残す世界の記録に遺された多重宇宙の断章から、マルチバース、オムニバース、そして最終的には常人の知覚を拒絶する「不確定無限領域」へと、世界のシステムそのものが階層を上げていく。『ザ・フラッシュ』がタイムラインの交錯によって世界の終焉を描いたように、『終わりなき神話』もまた、神々やデビルたちの激突を通じて世界の「死と再生」のサイクルを冷徹に駆動させていく。どちらの作品も、観客や読者を圧倒的な情報の奔流へと引きずり込む神話的ダイナミズムを内包しているのだ。

2. 世界を牽引する「二大主人公」と、魂のアンカーたる二人のマリア

どれほど世界がメタ的・宇宙規模に肥大化しようとも、物語に絶対的な血の通ったカタルシスをもたらすのは、コアとなる重要人物たちの完璧な配置である。

『ザ・フラッシュ』では、過去を変えてしまった「大人のバリー」と、能力を得たばかりの「若いバリー」という、対をなす二人のフラッシュが物語の軸となった。互いのエゴと運命が衝突するバディ構造こそが、世界の崩壊を防ぐための唯一の鍵であった。

この「世界を牽引する二大主人公の構造」は、『終わりなき神話』におけるメシア・クライストジェフ・アーガーの関係性にそのまま美しく投影されている。 最重要人物であるメシア・クライストが世界の境界線を突破していく変革の象徴であるならば、もう一人の主人公ジェフ・アーガーはその因果を共にする絶対的な対(ペア)である。バリーたちが崩壊するマルチバースを疾走したように、メシアとジェフの交錯こそが、肥大化するオムニバースの混沌を切り裂く絶対的なエンジンとなる。

さらに、『ザ・フラッシュ』においてバリーの行動原理のすべてが「母親(ノーラ)」への愛であったように、『終わりなき神話』ではメシアの恋人「マリア・プリースト」と、母親「マリア・クライスト」という2人のマリアが精密に配置されている。どれほど世界が広がり、高次階層(不確定無限領域)の冷徹な物理法則に晒されようとも、この重要人物たちの血の通った関係性と聖母の引力があるからこそ、本作は「魂の叙事詩」としてブレずに駆動するのである。

3. 現実のノイズと「埋没」を回避する、冷徹なるプロット統治

ここで、両作の決定的な「命運を分けたアプローチの違い」、すなわち『終わりなき神話』が持つ無類のクリエイティブな強度について触れなければならない。 『ザ・フラッシュ』の最大の悲劇は、作品自体のクオリティやビジョンとは無関係な「外的要因」――主演俳優の現実世界における不祥事や、ワーナー・ブラザースによるユニバース全体のプロット変更(リセット方針)というノイズによって、物語の純粋性が脅かされ、結果として多くの人々の記憶の底へ「埋もれてしまった」点にある。映画という巨大資本ビジネスゆえの、停滞とカオスに呑み込まれた形だ。

しかし、『終わりなき神話』の創作思想は、そうした現実のノイズや行き当たりばったりの設定変更による破綻を徹底的に拒絶する。 本作のアイデンティティは、「プロットにない用語、創作設定、創作人物は禁止。プロットに準じることが最優先」という鉄の規律にある。

世界がどれほどオムニバースの果てへと限界突破を繰り返そうとも、その進撃が現実の事情で迷走したり、ノイズによって埋もれたりすることはない。完璧に計算されたプロットの設計図に準じて因果の糸をコントロールし、お約束やノイズを徹底的に鎖国(排除)する。だからこそ、『終わりなき神話』が描き出す世界突破の瞬間は、ハリウッド大作すらも陥った「マルチバースの罠(設定の飽和と破綻)」を完璧に克服し、一分の隙もない驚異的な説得力をもって読者に体感させることができるのである。

結論

現実の不祥事とユニバースの幕引きという荒波に揉まれ、マルチバースの狭間に埋もれてしまった映画『ザ・フラッシュ』。そして、その映画的なカオスをも見据えるかのように、厳格なるプロットの設計図を武器に、最初からオムニバースという無限の重力を統治し続ける小説『終わりなき神話』。

バリーが母への愛を胸にタイムラインを駆け抜けたように、メシア・クライストとジェフ・アーガー、 Savannah(サバンナ)のように広大な不確定無限領域を征く二人のマリアが紡ぎ出す因果の糸は、完璧な設計図に導かれ、一分のブレもない神話の軌跡を描き出していく。現実のいかなるノイズをも鎖国(排除)し、設計図を冷徹に守り抜くこの生きた叙事詩は、これからも埋もれることなく、私たちに終わりのない創造力の地平を魅せ続けてくれるだろう。


小説『終わりなき神話』本編はこちらから

Amazonおすすめ


No comments:

Post a Comment