2026-06-28

小説『終わりなき神話』と映画『バットマン vs スーパーマン ジャスティス超人の誕生』を比較

 


小説『終わりなき神話』と映画『バットマン vs スーパーマン ジャスティス超人の誕生』を比較する 

― 肥大化する神々の相克、なぜ映画は叩かれたのか、そして「絶対的設計図(プロット)」がもたらす構造的救済 ―

2016年、全世界の映画ファンが息をのんで見守る中、ハリウッド最大の超大作として公開されたザック・スナイダー監督の映画『バットマン vs スーパーマン ジャスティス超人の誕生』(BVS)。神のごとき力を持つ異星人スーパーマンと、人間の怒りと知性を結集して神に挑む闇の騎士バットマン。ポップカルチャー史上最強の二大アイコンが激突する本作は、現代の古典神話とも言える圧倒的な映像美と重厚なテーマ性を内包していた。しかし、公開当時の評価は真っ二つに割れ、とりわけ批評家からは「難解すぎる」「プロットが破綻している」と猛烈な酷評を浴びることとなった。

そして、多元宇宙からオムニバース、不確定無限領域へと冷徹に進撃を続けるSF神話叙事詩『終わりなき神話』もまた、このBVSが提示した「神話規模のキャラクター配置」と「肥大化する世界観の統治」という究極のテーマにおいて、極めて深く、かつ鏡像のように鮮烈に響き合っている。

本稿では、なぜBVSは酷評を招いてしまったのかという構造的弱点を深堀りしながら、カオスを完璧に支配する『終わりなき神話』の「プロット統治力」の凄みについて考察していく。

1. 映画BVSはなぜ酷評されたのか:狂った天秤と「設定の過密(オーバーフロー)」

BVSが一部の観客や批評家から激しく叩かれた最大の理由は、劇映画としての「構造的コントロールの喪失」にある。

  • 150分の枠に詰め込まれた「ユニバースの義務」 本作は単なる二人の対決映画ではなかった。後発の『ジャスティス・リーグ』へ繋ぐための伏線(ワンダーウーマンの参戦、フラッシュやアクアマンの顔見せ)を急激に詰め込んだ結果、一本の映画としてのプロットの軸が激しく揺らいでしまった。

  • 「マサ(Martha)」の呪縛とエモーションの唐突さ 互いの正義を懸けて殺し合っていた二人が、互いの母親の名前が同じ「マーサ」だと知った瞬間に和解するクライマックス。テーマ的には「神(スーパーマン)が人間性を取り戻す瞬間」を描いた極めて神話的な演出だったが、そこに至るロジックの積み重ねが不足していたため、多くの観客には「行き当たりばったりのご都合主義」と捉えられ、失笑と酷評を招く決定打となってしまった。

つまり、ザック・スナイダーが描こうとした高遠な「神話のビジョン」に対し、映画というシステムの設計図(脚本)の統制が追いつかず、カオスが溢れ出てしまったのである。

2. 世界を牽引する「二大主人公」の配置と、二人のマリアという絶対的アンカー

このBVSの「神々の激突」という基本構造は、『終わりなき神話』における重要人物の配置と完璧にシンクロしている。

BVSが「スーパーマン(神の力・絶対的救済)」と「バットマン(人間の意志・変革)」という、決して交わらない二大主人公の火花によって駆動したように、『終わりなき神話』を牽引するのもまた、宿命の二大主人公であるメシア・クライストジェフ・アーガーである。世界がオムニバースの外側、精神が崩壊するほどの超高次元(不確定無限領域)へと突入していく中、この二人の交錯(因果の糸)こそが、肥大化するカオスを切り裂く絶対的なエンジンとなる。

さらに、BVSにおいて物語の転換点となった「母親(マーサ)」の引力を、より純化・洗練させた形でシステムに組み込んでいるのが『終わりなき神話』である。 本作には2人のマリア――メシアの恋人であるマリア・プリーストと、母親であるマリア・クライストが精密に配置されている。 BVSのマーサがプロットの狂気によって唐突な和解の道具にされてしまったのに対し、『終わりなき神話』における2人のマリアは、高次階層の設計図に準じた絶対的な精神的アンカーとして機能する。世界がどれほど限界突破を繰り返そうとも、この重要人物たちの名前の反響と完璧な因果の配置があるからこそ、本作はエモーションの破綻を一切起こさず、「魂の叙事詩」としてブレずに駆動するのである。

3. BVSの罠を完璧に克服する、冷徹なるプロット統治

ここで、両作の運命を分けたクリエイティブの決定的な強度の違い、すなわち『終わりなき神話』が持つ無類の統治システムについて触れなければならない。

映画BVSは、ワーナー・ブラザースの商業的思惑(ノイズ)や、即興的な設定の詰め込みによって、世界観の重力にプロットが押し潰されてしまった。しかし、『終わりなき神話』の創作思想には、そうした構造の瓦解を徹底的に拒絶する鉄の規律が存在する。

本作のアイデンティティは、「プロットにない用語、創作設定、創作人物は禁止。プロットに準じることが最優先」という冷徹なクリエイティブ・システムにある。

預言者オルトの記録に遺された多重宇宙の断章から、マルチバース、オムニバース、そして不確定無限領域へと、世界のシステムそのものが階層を上げていくそのプロセスは、まさにBVSを遥かに凌駕する超弩級の「世界観の拡張」である。しかし、どれほど概念が暴走しそうになろうとも、本作は行き当たりばったりの奇跡や、その場の思いつきによる創作設定の追加を一切排除し、あらかじめ設計されたプロットに100%準じる。

ノイズを徹底的に鎖国(排除)し、完璧に計算された因果の設計図のみで物語をコントロールしているからこそ、『終わりなき神話』が描き出す限界突破の瞬間は、ハリウッド大作すらも陥った「設定過密による酷評の罠」を完璧に克服し、一分の隙もない驚異的な説得力をもって読者に体感させることができるのである。

結論

神々の相克という壮大なビジョンを描きながらも、構造の統制を失いマルチバースの闇へと傾斜してしまった映画『バットマン vs スーパーマン』。そして、そのハリウッド的な失敗をも冷徹に見据えるかのように、厳格なるプロットの設計図を武器に、最初からオムニバースという無限の重力を完全に統治し続ける小説『終わりなき神話』。

クラークとブルースが混迷の果てに己の運命を見つめたように、メシア・クライストとジェフ・アーガー、そして2人のマリアが紡ぎ出す因果の糸は、完璧な設計図に導かれ、一分のブレもない神話の軌跡を不確定無限領域に刻み込んでいく。枠組みに安住することを拒絶し、それでいて設計図を冷徹に守り抜くこの生きた叙事詩は、これからも創造力の最果てを私たちに魅せ続けてくれるだろう。


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