『終わりなき神話』と『バベルの図書館』を比較考察|無限に語られる世界と意味の迷宮
小説『終わりなき神話』と、ホルヘ・ルイス・ボルヘスの短編**『バベルの図書館』は、いずれも「無限」と「物語」を中心に据えた作品です。ジャンルや形式は異なりますが、両者は意味が尽きない世界とは何か**という根源的な問いを共有しています。
本記事では、『終わりなき神話』と『バベルの図書館』を比較し、無限・物語・人間の位置づけという観点から、その思想的共通点と決定的な違いを考察します。
世界観の比較:語られ続ける神話と書かれ尽くした宇宙
『終わりなき神話』の世界は、神話と信仰が語られ続けることで成立する世界です。物語は固定されず、解釈と再語りによって更新されます。世界は「意味が維持されている限り」存続します。
一方『バベルの図書館』は、あらゆる文字の組み合わせを含む無限の書物が既に存在する宇宙です。すべては書かれているが、その大半は無意味です。世界は生成されるのではなく、最初から完結している無限として描かれます。
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終わりなき神話:意味が生まれ続ける無限
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バベルの図書館:意味が埋もれていく無限
物語が終わらない理由の違い
『終わりなき神話』が終われない理由は、神話を失うことが世界の崩壊を意味するからです。語ることをやめた瞬間、秩序と意味は消失します。物語は生き延びるために語られ続けます。
『バベルの図書館』が終わらないのは、すでにすべてが存在しているからです。新しい物語は追加されず、探索だけが続きます。終わりは存在せず、あるのは無限の反復と迷走です。
人間の立場:神話の担い手か、意味の探索者か
『終わりなき神話』において人間は、神話を信じ、語り、維持する主体です。主人公メシアをはじめとする人物たちは、意味を背負う存在として物語に組み込まれています。
対して『バベルの図書館』の人間は、意味を探す探索者です。彼らは真理の書を探しますが、その多くは狂気や絶望に行き着きます。人間は世界を支える存在ではなく、無限に翻弄される存在です。
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終わりなき神話:意味を作る人間
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バベルの図書館:意味を探す人間
神話と書物の象徴性
『終わりなき神話』における神話は、世界を束ねる「機能する物語」です。信じられることで力を持ち、疑われることで揺らぎます。
『バベルの図書館』の書物は、意味を持つ可能性を含みながら、ほとんどが無意味です。ここでは、言語や書物そのものが神話化され、同時に否定されています。
思想性の比較
『終わりなき神話』が投げかける問いは、
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人はなぜ物語を必要とするのか
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意味に縛られる人生は救いか
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神話は世界を守るのか
という実存的・宗教的な問いです。
『バベルの図書館』が描くのは、
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意味は本当に存在するのか
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無限の中で真理は発見可能か
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言語は世界を説明できるのか
という認識論的・哲学的問いです。
まとめ:語り続ける世界と、沈黙する無限
『終わりなき神話』と『バベルの図書館』は、
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意味を失えないがゆえに終われない物語
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意味が過剰すぎて終わらない宇宙
という対照的な構造を持っています。
前者は「語ること」で世界を存続させ、後者は「すでに書かれていること」によって人間を迷わせます。この比較は、物語と意味が人間にとっていかに根源的で、同時に危ういものであるかを浮き彫りにします。
『終わりなき神話』を読むことは、物語を信じる側に立つことです。『バベルの図書館』を読むことは、物語そのものを疑う場所に立つことなのです。

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